アルピーヌ パッション 完全アルピーヌ・ガイド
J-P リモンダン

 どうして、最後の一台を緑にしたんだ?」
みんなから聞かれるんですよ。でも、最後だってわかってたら、
ブルーにしていたと思います。

 私ははじめルノーに勤務し、そのあとでアルピーヌに行き、そこでディレクターを務め、それからルノースポールで働き、とずっとルノーと関わってきました。そんな私にとっても、アルピーヌは特別な車でした。アルピーヌに携わりながらも所有はしていなかったので、「いつかはアルピーヌを持つ」という夢を持ちながら働いていたんです。

 とはいっても関係者ですから、お客さんの注文を先にし、自分がオーダーを出すのは後回しということになっていたのです。そうして、やっと自分の番が回ってきて、ひとりの顧客としてオーダーできるときがきました。そのとき、たまたま緑が好きだったので、塗装を「緑のメタリック」にしてもらったのです。

 そして、そろそろ自分の車が出来上がる頃だなと思っていた矢先に、A110の生産が終わることが決定しました。そしてその最後の一台というのが、よりにもよって私がオーダーした、その緑の車だったのです!!


 最後の一台がデリバリーされたときには、工場のみんなで最後を記念して、パーティを開きました。これは私にとっても、みんなにとっても思い出の一台になりました。

 その緑のA110ですが、その後ももちろん大切にしていましたよ。でも、あるとき友達から強く売ってくれるよう懇願され、私も仕事が多忙であったこともあって、手放したのです。

 その直後は特に後悔もなかったのですが、仕事を引退する頃になって、やはりアルピーヌ病が再発しましてね。どうしても、手にいれずに入られなくなりました。 そして2台人から買ってきたのはいいけれど、やはり思い出すのは自分でオーダーを出して買った、あの緑のA110なのです。

 幸い、その車は友人宅の納屋で大切に保管されているのを知っていましたから、今度は私のほうが頼み込んで、売ってもらうことに成功したんですよ。

 長い年月の間に悪くなった部分も、きれいにレストアしあのときの思い出の車が蘇りました。 アルピーヌの病気は一生治りません。

 競技に出たA110で有名な車は数多くありますが、単なる生産車で有名になったのは、これだけかもしれません。そのせいで、人からよく「どうして、最後の一台を緑色にしたんだい?」と聞かれます。あのとき、最後の一台だってわかっていたら、私だって青にしてくれって言ったでしょうね。



profile: 元アルピーヌのディレクター。

生産最後の一台である、緑のA110のオーナー。

現在は「AAA」という古いアルピーヌのアソシエーションで

イベントの開催や、出版をし、アルピーヌを支えている。

写真下は2010年春、ディエップのイベントにて